Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル

  “忘れたくとも思い出せない、
    ジレンマがトラウマになる前に…”
B
 


          




 あっけらかんと夜は明けて。まだ公式的には梅雨明け前ながら、なかなかいいお日和の一日が始まりつつある、清々しい空気の満ちた朝ぼらけ。八月に入ると同時に開催予定の合宿に出発するまでの日常である“朝練”のため、出向いた大学の専用グラウンドで。ふと、ベンチの傍らまで引き出されていたキャスターつきの収納用鉄籠に視線が向いて、あふれんばかりの満載に収まっている茶色のアメフトボールへと目が行った葉柱は、

 「…。」

 何ということもなく、その中の1つを手に取った。慣れ親しんだ革の感触。人様より少しばかり手が大きく指も長いので、片手でひょいと、余裕で掴めるのは今更な話だが。そんな自分の手が愛しいと再確認したいのでもなければ、得意げに見せびらかしたいのでもなく。そんな意味のないことへぼんやり意識を捕らわれていたりしたりなば、何を呆けているかとの叱咤を、それは素早く差し向けて下さる筈な小悪魔さんの姿も、そういえば今朝はまだ見ない。夏休みに入ったならば、わざわざこのお兄さんを家まで呼び付けての一緒に出て来るものと思っていた他の面子たちが、一様に案じるようなお顔を向けて来たのへは、
『ちょいと個人的な野暮用があるんだとよ。』
 そんな言い訳をしておいた葉柱だったのだけれども。よくよく考えてみりゃ、連絡がなかったから俺独りで出て来たのがそんなに不審なことかと、お前ら常からどういう段取りを基本だと思ってやがる、なんて。逆ねじ食らわせてもよかったなと、今頃になって気がついてる辺り。本人こそが“そういう段取り”が当たり前だと、ごくごく自然に思ってた証拠じゃねぇかと、自嘲気味の思い出し笑いなんかしてみかけたものの、

 「…。」

 思い返せば、ほんの短い刹那を駆け抜けた1個のボールに、何ともまあ色々なものが乗っかっていたことか。いつもとさして変わらぬそれだった筈のありふれた宵が、ひょんな切っ掛けから雪崩を打つようにあれほどまでの急展開へと転じたなんて。それこそ夢だったんじゃなかろうかと、ともすれば逃げ腰な方向へと帰着したがっている総長さんだったりもして。…って、そんなじゃダメじゃん。
(苦笑)

 “…うっせぇな。”

 お。聞こえてましたか。まま、場外からのちょっかいはさておいて。

  ――― ちょっとつついただけで、ああまでも。

 怪しい思惑から愛しい者への限りなき思慕まで。小さなほころびに向けて、それは鮮やかに反応出来た様々な想いの丈が、自分たちの背景にどれほど凝縮されていたのやら。横恋慕ストーカーが金属バットを振りかざし、闇に乗じて襲いかかってきたなんて一大事を指して“ちょっとしたこと”とか“ほころび”扱いにしても良いかどうか…というところからして、賛否の分かれるところだが、ままそれは本題じゃあないから置くとして。(置くのか?)

 “それに取り囲まれてた、一番の当事者だった俺らが、
  一番 何にも知らなかったってのも“何だかなぁ”な訳だがな。”

 自分たちにつきまとい、何やら窺っていた気配があって。それを、そちらさんもまた大外から観ていての気づいて、何らかの手を打たねばと独自に動いていたらしき誰かさん。
“…と、見るのが一番妥当なんだがな。”
 まだ詳細をご本人から訊いていないので、あの小悪魔さんがどういう手配を打っていたのか、葉柱は聞かされていなかったので全くの全然知らないが。怪しの影への対処を独自に取ろうと構えた坊やの無謀さに、そのお人はきっと、居ても立ってもいられなかったに違いない。





  ◇  ◇  ◇



 子供離れしたレベルで何かと機転の利く、そりゃあ はしっこい坊や。世の道理や人の性(さが)とやら、ようよう知り尽くしているような顔をしているが、本当の大人からすりゃまだまだ甘い。せいぜい高校生レベルの“知識”と“把握”と、それらから捻出される範囲での“妥協”しか知らぬくせに。訳知り顔で手を打ち、対処を構えるその手管は、だが。常識が通らぬ相手が想定外になっており、何とも危なっかしいことか。

 「世の中にはな、
  何もかんも誰かのせいにして自分を保ってるような、
  身勝手の骨頂って手合いが結構いるんだ。」

 まずい展開になったとき、それは自分のせいじゃないとするために、自分が追い詰められないようにするために、必死になって“誰のせいか”を弾き出そうとする。責任転嫁という形での自己防衛は、そう珍しいことじゃあないが、度が過ぎると考えもので。
「あの兄ちゃんは、自分から話しかけることさえ出来ない…勇気を出せない自分と違い、それは馴れ馴れしくも憧れの坊やと楽しげにしているそっちの兄ちゃんがうらやましかった。だが、そうと思うのが惨めだったか、それとも。自分が彼より劣ると認めたくなかったか。」

 その人の声は、ちょっぴり癖があって個性的で。普通に話している時は、滑舌もよくてそれは伸びやかなのに。小声になっての低められると、甘く掠れるのが何とも蠱惑で、ついつい耳が拾っての聞き惚れてしまう。

「お前が同意の上で仲睦まじくしているのではないと、無理から付き合わされているのだと。自分の頭ん中で勝手に…自分に都合の良い、自分に心地良い、そんな“設定”を作って、しかもそれをどんどん膨らませてったらしくてな。」

 やっとのこと、激しくせぐりあげての わんわんと泣いていた坊やが落ち着いたのでと、あやすついでに“コトの次第”というのの端っこの方を、語って聞かせ始めた小悪魔坊やのお父上。元アメフト選手にしては随分と痩躯だなというのが葉柱からの第一印象だったけれど。坊やをひょいと、その懐ろへ“子供抱き”にして抱え上げてしまったバランスを見て納得したのが、
“そっか。俺と変わんねぇほど、背丈があるんだ。”
 したたかに鍛えての絞られた腕や脚が長く見えるせいで、ちょっぴり華奢に見えただけ。鋼のような肢体は、何とも頼もしく。彼にしても久々に抱き上げた我が子を、余裕で抱えている態は、

 《 ああ、父親なのだなこのお人》と、

 不思議なことには初対面の葉柱にまであっさりと思わせたほど。そして、

 「…。」

 久々に泣いたせいで疲れたか、くったり萎えてのされるがまま。うら若き父上の懐ろに、大人しく収まったままでぼんやりと。今にも寝入ってしまうんじゃないかというようなお顔をしていた小悪魔坊やが、

 「…っ。」

 ひくりとそのお顔を上げたのは。遠くから近づきつつあったパトカーのけたたましいサイレンが、すぐ間際の大通りに到着した事を告げるよに、夜陰へ溶け込んでの ふっと掻き消えたから。物問いたげに見上げたお顔へ“うん”と目線だけで頷いて、

 「…阿含。」
 「ああ。任された。」

 背後の路上で、依然として暴漢を羽交い締めにしていた悪友へ。振り向きもしなけりゃ後ろ向きのままの会釈もなく。短いやり取りだけ残し、そのまま…腕の中に見下ろした坊やの他には、何も視野にないかのように。背条を真っ直ぐ伸ばしてのすたすたと。現れたときと同様、何ら窺うこともなくの堂々と、その場から離れていったヨウイチロウ氏であり。

 「…通報して来たのは?」
 「あ、それ、あたしです。」

 小気味良いフットワークでたかたかと、2、3人ほどのお巡りさんが駆けて来たのへ。人垣の中、ちょっぴり遠慮がちな風を装っての“はい”と手を挙げて見せたのが、

 「…お。」

 おや知った顔じゃあないですかと、葉柱が放った視線へ向けて。小さく口元だけ微笑って見せたのは、妖一坊やの叔母上と紹介された、ヨウコちゃんでありまして。

 「ああ君、もう良いから離してあげて。」

 足元の路上に落ちていた金属バット。口から泡を吹き、獣じみたうなり声を上げてもがく男と、それを手際よく地面へはいつくばらせての身柄確保を取っていた青年。ややもすると喧嘩に見えなくもないこの構図に、だが、周囲を取り巻く野次馬たちは、暴漢を押さえつけていた英雄に向けて、おおおと歓声さえ上げかねない空気を醸しており。さすがに警察の方々としては、状況だけ見て一方的に断じてはいけないが、

 『○○町の角地のコンビニ前で乱闘騒ぎです。』
 『バット持って暴れてる男がいるんです。』
 『子連れの男の子、狙って襲った奴が暴れてて。』

 通報は一本だけではなかったので、これはもう明白だろと。そうと感じたらしきお巡りさんに促され、は〜いと愛想よくも身を離しての立ち上がったドレッドヘアのお兄さんは。数mほど間合いの空いてた位置に立っていた葉柱を見やると、自分の唇に何かついてたのを払うような仕草に紛れさせ。人差し指だけ伸ばしたその先、微妙に立てて見せるから。

 「…。」

 こっちも何も言わぬまま、目線だけで頷いて見せた。そおと立ち去った妖一の父上と妖一のこと、お前は下手に口にするなとの指示と読んで………。






  ◇  ◇  ◇



 それから、簡単な事情聴取を促されたので、バイクは桜庭に任せてパトカーに乗って泥門署までを運ばれてゆき。あの場で何が起きたのかだけを説明していると、実家から高階さんがやって来て、まだ未成年の坊ちゃんですのでとそこは上手に対処して下さり、さして突っ込んだことまでは聞かれぬうちに帰宅の途につけた。保健室なんかにありそうな、ドレープ寄せた布を張ったパーテーションで仕切られただけのお隣りにいた阿含が、後は任せなとでも言いたげな視線を、ちらり寄越して来たのへは、ちょっとだけムッとしたけれど。

 “…あの成り行きから察して。”

 あいつとヨウコちゃんと、それからヨウイチロウさんとで、何かしら“組んでた”と見るのが一番妥当だろうから。任せろというなら任せるさと、それでも一応は鷹揚そうに眉を上げて見せてからの撤退を決めた葉柱だったのだが、

 「…。」

 未だに夢だったような気がしてならないのは、暴漢に襲われたなどという劇的なアクシデントに遭遇したからじゃなく。大声を上げて泣きじゃくっていた妖一の姿が、声が、時折ふっと蘇っては、意識を心を鷲掴みにして離さぬから。あの小生意気な坊やが、まずは人前でやらかさないこと。衝動のままに相手を罵って、言葉だけでは足りぬと、幼子のように拳を振り上げまでして。ああまで感情的に爆発したのなんて…、

 “いや、一度だけあったかな。”

 やはり父上のこと、悪し様に言われての塞いでしまった彼が。誰の目にも留まらぬようにと隠れて泣いていた、いやさ泣いて良い場所を探していたらしいのへと追いついてしまった葉柱に。八つ当たり半分のように、おいおいと声を上げて泣いて見せたことが一度だけあった。躍起になって隠している素顔。ホントは心細いとか、お父さんに逢いたいとか、思わないではないのだよという、そんな素顔を見せてくれた坊やだったのに。ああ、そうだ、あの時も自分は何もしてやれなんだ。上手にあやすことも、気の利いた言いようも出来ぬまま、ただ傍らにいてやるしかなかった。そんな自分の至らなさが、

 「…口惜しい、か。」

 他の人間の前では言うに及ばず。この自分の前でもあんな風に素顔を出すことは滅多にない妖一で。あれほど、危険なことへは口も手も出すなと言っておいたのに、葉柱には内緒にしての何かしら段取りを組んでいた。そんな大人ぶっての背伸びはやはり、頼る先というカテゴリーに、葉柱は入っていないという何よりの証しではなかろうか。そして…そうまで力の足りぬ奴、お前には任せてはおけぬと、あっと言う間にこの双腕から掻っ攫われたような気がしてならず。
「…。」
 悪い意味での夢心地なまま心落ち着かず、溜息も止まらない。妖一くんの子供離れした手配が、されど所詮は子供の物差しが見え隠れするそれだと断じることが出来るように。自分の未熟さも重々承知ながら、されど。足りなくともそれでも、あの子を自分なり、護っていたつもりだったのに。あっさりと、お前では力不足だともぎ取られたような喪失感が拭いされない。
“何だよ、これ。”
 何をこうまでくよくよしてっかなと。自分の腐り具合にまでむかむかして来て。手の中に見下ろしたままだったボール、ぽいっと籠へ戻すように放り投げ。そうこうする内、各自で体を温めての集まって来出した面子の気配を拾って、ベンチから立ち上がれば、横合いから主務がバインダーを差し出して、今日の練習メニューを示してくれたが。

 「…ここの、空いてるところは何なんだ。」

 タイムテ−ブルの午後のしょっぱな。何にも書いてないブランクが2時間分ほどあったりし、
「あの、そこは…妖一くんが、午前の調子を見て決めると言ってましたので。」
「………。」
 各自の体力的な基礎がためも佳境に入っているから、そろそろポジション別の練習の比重を大きくすべきかな。でもなあ、先輩さん方の馬力と新入生のスタミナと、どっちが上なのかがまだ読み取れないんだよなぁと、決めかねているような言い方をしていたのでと。おずおずと言い連ねる彼には非はない。高等部時代からのずっと、そうして来たのだ。アメフトが大好きな彼が下す適切な指示や、ウチの面子を隅々まで見やっての把握している彼が出す的確な判断は何とも頼もしく、あんなチビに振り回されてんじゃないと、今更言えた義理ではない。とはいえ、

 「妖一は今日は終日で来ないと思うからなぁ。」
 「え? そうなんですか?」

 あれれぇと驚いたのは主務の彼だけではなくて、

 「え? 何でです?」
 「一緒に来てないと思ったら。」
 「こないだみたいに、別約束優先ですか?」
 「この大事な時期に困ったもんですねぇ。」
 「コーチって自覚が足らんのじゃあないか、あいつってば。」

 おいおい最後のは何なんだと、しょっぱそうなお顔になった葉柱の背後から、

 「くぉらっ! 何さぼってやがるかっ!」
 「おおおっと!」

 重々聞き覚えのあるボーイソプラノが鳴り響き、
「ぼーっとしてねぇで、グラウンド5周っ!」
「お、おおっ。」
 小さな坊や、白い手を振り上げての号令一喝。その姿を隠す林の如くに寄り集まっていた屈強な青年たちが、あっと言う間に整列しての、指示通りに駆け出したのを見送って、

  「…ルイは走らねぇのか?」
  「いや、それよかお前…?」

 何でこんなトコにいる? ご挨拶だな、邪魔なら帰るが。そうじゃなくってだなっ。

 「………その、親父さんは?」
 「ああ。今日はあちこちに挨拶回りだと。」

 けろりと言っての、何の問題もねぇよとにこぱと笑った坊やだったが、

 「…。」
 「何だよ。」

 言い返す代わり、大きな掌が臥せられた頬の上、目元の縁を輻射の熱で暖めるように。触れるかどうかという間際を撫でるようにしてみせた葉柱だったのは。

 「………まだ赤いか?」
 「ちょっとだけ。」

 やっぱり夢なんかじゃなかった証し。坊やが人目も厭わず泣いた跡。ほんのりと赤い眸とそれから、腫れぼったい目元をしていたからだった。







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  *ああいかん。
   先に葉柱さんの心情を書いちゃったら、
   あの後の蛭魔さん父子の方まで筆が行かなかったの。
   とゆわけで、もう少し続きますね。